【箱石シツイ】102歳の現役理容師!ここまでなぜ続けられるのか?

80年以上使ってきたハサミでお客さんの髪を軽快に切っていく。髭剃りは確かな手さばきでカミソリを細かいところまで丁寧に当てる。

終わったあとのお客さんの顔はピカピカ。

手が震えたりは全くない。背筋を伸ばして理髪する姿は驚くほかない。

「必要としてくれる人がいるうちは床屋を続けたいね」と。

102歳を迎えた今も現役で理容師を続ける女性がいると・・・

場所は栃木県那珂川町。 約束の時間に国道沿いの店舗兼自宅を尋ねると、家の奥でこたつに入っていた小柄な女性がすくっと立ち上がり小走りで駆け寄ってきた。

これまで何人もの「アラ100」の人を取材してきた経験から記者は、この女性は目当ての理容師の娘さんか、身内の人だろうと考えてしまう程、若い!

「箱石シツイさんの取材で来ました。」こう告げると、女性はぺこりと頭を下げた。

なぜここまで続けてこられたのでしょうか?

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箱石シツイの経歴を紹介

引用元:http://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp/nakagawa_now/2018/2018-0903-1307-95.html

ご主人が戦死した後も一人で理髪店を切り盛りして74年「常連さんは待ってくれるからやめられない」

しゃんと伸びた背筋つやつやでシワの少ない顔、そして何より軽やかな足取りと機敏な動き

100歳以上の老人のイメージとかけ離れていて驚くというより戸惑いを覚えるほどです。

2019年1月から長男、英政さん夫婦と同居を始めたが、昨年12月までは半世紀以上、1人暮らしをしていた

家事全般を一人でこなし理髪店をたった一人で切り盛りしてきた。

昭和11年に理容師免許を取得して以来80年余り、今も衰え知らずで毎日ハサミを握る

「今はもう常連さんしか来ないです。その常連さんも亡くなったり老人ホームに入ったりだいぶ減っちゃいました」

それでも「箱石さんじゃなきゃダメなんだ」とわざわざ来てくれる人も少なくないという。

「床屋しかできませんから。できるうちは続けたいし、私を必要としてくれる人がいるうちはね」と語る。

箱石さんは大正5年栃木県那珂川町で生まれ、5人兄弟の3女として生まれた。

シツイという名前は本当は「シズエ」で、訛っているせいもあってシツイになっちゃったらしいです(笑)そんな事あるんだって感じですよね?

とても小柄な箱石さんはなんと身長が138cmと、とても可愛らしいですね。

尋常小学校卒業後、両親は手に職をつけさせようと娘(シツイさん)を和装修行に出した。

2年ほど村長さんの別荘に住み込んで和装を習いましたが、小学校時代の同級生のお母さんから「東京の床屋で働いてみない?」

ということがきっかけで東京へ出ることにした。昭和5年の春14歳にして住み込みで勤めたのが墨田区北部にあった理髪店だそうです。

「昔はご飯のお釜で木炭で炊きましたから。お釜の後ろに黒い煤(すす)がつく、その煤をヒゲに見立てて剃る練習をした。当時は西洋カミソリではなく、柄のない日本刀でヒゲを剃ったんです。」

刃こぼれしてきたら砥石で研ぐ!それが修行だったんです。

努力をちゃんと見てくれていた人もいた。向かいのタバコ屋のおじいちゃんが「この子に俺の顔貸してやる」それが初めての髭剃りだった。

先生は結婚を機に引退。 新たな経営者が譲り受けることになったが半年経っても一銭ももらえなかった。

一緒に働いていた従業員も次々逃げ出し、 箱石さんも亀戸に暮らしていた祖母の家に身を寄せる事に。

亀戸、向島、銀座、四谷見附と大きな理髪店に引き抜かれるようになった。月の給料も3円から7円、 7円から14円と跳ね上がった。

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旦那様との出会い

四谷見附の店では箱石さんを必ず指名する女性客がいた。 大学の先生の奥様で、何回かお店で切ってたら、今度は自宅へ出張してと頼まれた。

何度目かの出張の時、「甥っ子が遊びに来てるの」と紹介された。

その人も床屋をしていると聞き、上品そうで礼儀正しくて、常識があって穏やかな人でしたねと語る。

その彼こそが箱石さんの夫になる二郎さんだったです。

昭和24年1月の結婚!新郎24歳新婦22歳だった。 理髪店と新居を構え翌年の昭和15年に長女、昭和18年には長男と子宝に恵まれた。

そんな矢先のことだった。夫に召集令状が届いたのだ・・・

このとき二郎さんは30歳。近視で眼鏡を手放せない夫が戦地に駆り出されるとは思ってもみなかった・・・と語る。

出征の日に、なかなか姿を見せない二郎さんは、二人の子供を両手で抱きしめ泣いていました。

二郎さんが戦地へ行ってから約半年、箱石さんが夫のいない店を守っていた。

しかし汗水たらして築いた店は米軍機の投下した500kg爆弾で無くす事に。

せめて夫さえ生きて帰ってくれれば・・・という望みがあった。

昭和21年にが、3年後にはが相次いで他界。そして終戦から8年もたった昭和28年春、家族に悲しい知らせ届く。

「箱石二郎、戦死」と・・・

「3人でお父さんのところへ行こう」とドン底になっていたところ、息子の英政さんは「俺は死にたくねぇ」と、いとこに助けを求めた。

泣き縋る長男と甥っ子の一喝で、箱石さんは我に返り、理髪店を開業する!

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ここまでなぜ続けてこられたのか?

引用元:https://twitter.com/nhk_news/status/1070282398015913984

70歳の時に始めた自己流体操、朝晩30分が長寿の秘訣という。朝ごはんには毎日ヨーグルトを食べているそうです。

「理容ハコイシ」をオープンしたのは昭和28年8月13日お盆の前日だった。田舎はお盆と正月こざっぱりするのにが習わし。お盆の前にはみんな床屋にかかります。

だからその日を狙って開店したみたいです。

戦略を大当たり!店は開店当初から大盛況だった。息子の英政さんもフル回転で手伝った。

忙しすぎてタオルでヒゲを蒸している間に食事をかき込む状態でした。

箱石さんは周りから「東下り」と呼ばれる。東京で最新技術を学んだ理容師という褒め言葉だそうです。

口コミで人気が広がり、茨城福島からのお客さんが来た。

「開業のところ借金の返済と子供の教育費を稼ぐために無我夢中で働いていたら100歳を超えていた」と語る。

理髪店は憩いの場!

なんか良いですよね。自分も美容師をさせて頂いてますが、そんな憩いの場になってもらえたら嬉しいですもんね!

70歳の時、肩が凝るようになったという。押してみたり、筋を伸ばしてみたりと自分で体操を考えたとか。

すると楽に、自由自在に動けるようになったそうです。自分で体操をあみ出してしまうなんてすごいですよね!

最近は体操する事を忘れてしまう一面も・・・カワイイですね(笑)

長寿の秘訣はと聞くと・・・この体操と、なんでもよく食べる事とおっしゃってます。

その食事がスゴイ!朝は食パン、八枚切りの1枚にピーナツバター。 それに野菜、にんじん、だいこん、ごぼう、里芋、じゃがいも、ほうれん草をダシで煮て食べる。

それからヨーグルトにココア、バナナ、いちご、りんごを切って混ぜた物を食べているそうです。

あとは近所の方が美味しいものを持ってきてくれるから、102歳まで生きれた!と箱石さんは言う。

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まとめ

102歳で現役理容師として活躍されている箱石シツイさん。138cmとちっちゃいのにお客さんのトップの髪の毛切る時、届くのかなぁ?と美容師的に心配に・・・

健康の秘訣は「自己流体操」「食事」とわかってはいるけど、なかなか出来ない事かもしれませんね。

旦那さんが戦死されて、一人で理容室を切り盛りしてこれたのも、必要としてくれるお客さんがいるからと、さすがプロだなぁと勉強になります!

これからも元気に理容師として続けて頂きたいですね。

応援しています。

最後まで読んで頂きありがとうございます!

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